死と安楽の間で

〜安楽死、尊厳死について考えるブログ〜

安楽死をめぐる脳内葛藤 その1 〜福祉国家における権利の困難〜

A それにしても、年末の安楽死の映像は衝撃的だったね。

B うん。ああいうのが一般的になるのか、どうかはわからないが、多くの人が実は安楽死を肯定してたり、世界的にも制度化されているというのが、驚きだよ。

A 君は数日、ディグニタスとか、安楽死について勉強してたらしいけど、なにかこれからの安楽死を考える上で重要なヒントは見つかったかい?

B 安楽死について、世界中でどのように制度化されているのかは、色々知ることができたよ。だけれど、安楽死にどういう立場があって、どのような論争があるのかは、まだ見えてこないんだ。
A きっと、それはあまりにも専門的なことだからだろう。ネットで調べただけでは出てこないよ。ただ議論と言っても、安楽死を倫理的な見地から否定する、いわゆる保守的立場と、人権を尊重する、いわゆるリベラル派の対立があるという、典型的なパターンなのではないだろうか?

B いや、そんなに単純ではない。もちろん、ざっくりと言えばそうした対立があるが、リベラル派の中にも、安楽死に反対する立場がある。それは、安楽死を推進する背景には、国家の医療負担を減らしたいという”お上の論理“と、子に迷惑をかけたくないという“下からの倫理”の結びつきがある。こうした、なんとなくの流れの中で安楽死を認めてしまうと、医療に必要なものを皆んなで負担し合うというコンセンサスが失われてしまうのではないかと懸念する意見もあるんだ。

A なるほど、まるで福祉国家におけるリベラルの困難が、安楽死の議論に凝縮されているかのようだね。だとしても、日本の多くの人が安楽死に肯定的である以上、僕は遠くない将来、安楽死を制度化せざるを得ないと思うね。

B では、もし安楽死が制度化されたとき、相互扶助のコンセンサスはどうなるだろうか。やや、飛躍的に話せば、そうしたコンセンサスの欠如が、ゆくゆくは年金制度や保険制度をより自己責任的な改悪につながるのではないだろうか。

A たしかに、君が懸念していることはわかる。しかし、そうした福祉国家の倫理を破綻させないために、安楽死を制限するという議論は、患者の尊厳のある死に対する権利を守りつつ、連帯の倫理を保ち続けるという、ある種の理想主義かもしれないが、そうした選択肢を排除しているように思える。終末期に避けられない苦痛と恐怖がある以上、患者に死の権利を認めないという立場はもはや成立しないのではないか。

B もちろん、患者の権利は大事だろう。しかし、日本尊厳死協会が安楽死ではなく、リビングウィルという延命治療の拒否という比較的穏やかな制度を支持している裏には、安楽死を支持すると、優生思想を根拠に障がい者を排除したナチズムを彷彿させるとして非難された歴史がある。これを踏まえずして、権利、権利と言うのは生命に対するラディカリズムというより、むしろ新自由主義的な精神の現状追認に過ぎないと思うな。