死と安楽の間で

〜安楽死、尊厳死について考えるブログ〜

安楽死をめぐる脳内葛藤その2〜安楽死を望む両親に、なんと言えばいいのか〜

A 前回の話は、安楽死に対する一般的な議論を紹介したけれど、そもそも安楽死を一般化して語ることは、どれほど有用なのだろうか B たしかに、死というのは自分以外の誰かが代わりに引き受けてくれるものではないから、あくまで個別的で特殊的なものだ。では…

安楽死をめぐる脳内葛藤 その1 〜福祉国家における権利の困難〜

A それにしても、年末の安楽死の映像は衝撃的だったね。 B うん。ああいうのが一般的になるのか、どうかはわからないが、多くの人が実は安楽死を肯定してたり、世界的にも制度化されているというのが、驚きだよ。 A 君は数日、ディグニタスとか、安楽死につ…

なぜ日本は安楽死の法制化が進まないのか 〜権利という視点からの考察〜

前回のブログでは、日本尊厳死協会におけるリビング・ウィルについて紹介した。日本尊厳死協会はこのリビング・ウィルについて、安楽死ではなく、回復の見込みのない場合に限った生命維持の拒否であることを強調している。 海外における法制化された安楽死も…

日本の尊厳死協会とは〜リヴィング・ウィルについて〜

ブログを始めてから前回まで、もっぱら海外における尊厳死について調べてきた。それでは、日本において、尊厳死や安楽死はどのように考えられているのだろうか。 インターネットで検索すると、まず最初に日本尊厳死協会のホームページが出てくる。このホーム…

台湾の“患者自主権利法”とは何か

ディグニタスのホームページには、いろんな国の尊厳死にたいする法律の情報があって勉強になる。今回紹介したいのは台湾である。このホームページによれば、2015年の12月18日に”患者自主権利法“がタイで制定され、たとえ不治の病気でなくても、5体満足者でも…

安楽死、尊厳死における「予見可能性」とは何か

前回の記事で、カナダの議会が成立させた尊厳死の法律では、死が予見可能な場合のみ、という条件づけられたものだった。(つまり、余命宣告などがなければ尊厳死はできないということ) さて、この予見可能性という点だが、これが多分に論争の余地がある。最…

カナダにおける尊厳死の法律を巡る状況について

前回のブログでカナダが安楽死をめぐって司法と立法が対立していることを紹介した。しかし、少し事情を調べてみると、ディグニタスのホームページの説明だけでは不十分であることがわかった。以下、自分がインターネットのニュースやウィキペディアを見た限…

カナダは自殺幇助を巡って揺れている?

前回に引き続き、安楽死に対する各国の状況を紹介したい。前回では、スイス、オランダ、ベルギー、台湾などが自殺幇助を合法としているが、もちろん、どんな国であれ、それは暫定的なものでしかありえない。ディグニタスのホームページの各国状況をしっかり…

スイスにおける、安楽死と自殺幇助の法律について

ディグニタスのホームページは勉強にもなって面白い。いくつかの国において、自死はどのように法律で決められているのかを紹介しているページがあった。 ベルギーやオランダは2002年、2015年には台湾など、様々な国が自死を選択する法律が認められたとのこと…

ディグニタスが安楽死の対象としているのはどんな人?

前回のブログでは、どのような手続きでディグニタスの会員になることができるのかを紹介した。では、会員になれば誰でも安楽死をサポートしてもらえるのだろうか。 ディグニタスのパンフレットによれば、医師が不治の病で、耐え難い苦痛や障害を避けることが…

ディグニタスはそもそもどんな組織か

前回のブログで紹介した、スイスにある安楽死のカウンセリングや援助を行なっているディグニタスという団体だが、 インターネットで検索しても、どういった人を安楽死の対象にしているのか、末期患者のみなのか、希望すれば安楽死できるのか、そもそもこの団…

安楽死に対するタブーは道徳的パターナリズムか

前回のブログにも書いた、年末の安楽死の映像についてだが、インターネットで調べるとその映像は“ディグニタス”という団体の協力のもとに撮影されたものらしい。“ディグニタス”という団体はどのような団体なのだろうか。ディグニタスHPの説明欄の英訳である…

死と安楽の間で

年末だろうか、ビートたけしのテレビタックルという番組で、安楽死のテーマを取り扱っているのを観た。衝撃だったのは、ある外国人の女性が安楽死の薬を飲む映像が流れていたことだった。 友人であろう付添人の「あなたは死にたいの?」という問いに足して、…